今朝、母の夢を見ました。
母はどうやら体の調子がよくなく、これから病院に入院するという場面。
そこにわたしも居るのですが、母が目から涙をボロボロ溢して泣いているのです。
「このままここに入院したら、どんどんいろいろ忘れてしまいそうで怖い」と。
わたしは母をなだめるのですが、お母さんがかわいそうでかわいそうでたまらない。
「大丈夫!今わたしのことがわかるでしょ?わたしを見て感情が湧くでしょ?感情があれば大丈夫なんだよ!感じること大事にして! 嬉しい時は嬉しい、嫌な時は嫌ってちゃんと自分が感じること大切にしてたら絶対大丈夫なんだよー」って夢の中でわたしは母に言い聞かせていた。
そして目が覚めてから、お母さん、かわいそうに。と思って、しばらくしてから、
ああ、そうだもうお母さんはいないんだ。と気が付く。
母や父の夢はこれまでも何度か見るのですが、いつも目覚めてからしばらくの間まだ生きていると思ってしまう。
うちは父も母も元気なうちに亡くなってしまったから、病気や高齢になっての介護をするということがなかった。
ある日突然にあっけなく亡くなってしまったから、突然の喪失感の悲しみは大きかったけれど、二人とも子供に何も世話を焼かせることなく逝ってしまった。
だから親の面倒を見るということをわたしは体験していないし、親がどんどん老いて物忘れなどひどくなっていく様を見ることもない。
世の中の高齢の方々の、物忘れが激しくなっていく不安ってどんなんだろう。
わたしの夢の中ではわたしの想像の世界が繰り広げられているのだろうか?
それとも別のタイムラインの様子を夢で見たのだろうか?
■今を生きる
認知症というのは今を生きていないことだという話を聞いたことがあります。
今をしっかりと感じて生きること。
このことがどれだけ大切か。
考えにふけっている時、人は今にいない。
今、何を感じてる?
かゆいとか?
だったら掻けばいい。
この痒みはどこからきているのだろう?何が原因でこうなった?
などと考え始めた途端人は今にいなくなる。
かゆい→かく。以上。はい次。
こうして人は思考から離れれば今にいることができる。
考える時間があるというのはある意味平和で暇で幸せということなのでしょう。
人は生きるか死ぬかみたいな瀬戸際のとき考えるなんて悠長なことしてられない。
だから認知症になるのは平和な証なのだという。
考えるより感じる。考えるよりも感じることで人は今にいることができる。
自分の今感じていることを大切にして!
母の夢はわたしにそのことを教えてくれているのかもしれない、と思うのでした。
さあ、今日も一日、感じることに忙しいぞ!
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