自分との関係を築くことが世界を創造していくこと



昨日はまったく簡単に記事を書いてしまいました。


でも、簡単にでもなんとか「毎日書く」というミッションをこなせるくらいには「習慣」になってきているということだろうな。


簡単といっても、そこに思いがちゃんとあって、なんとか言葉と文章として成り立ち、自分でまあいいでしょう、てゆるせる雰囲気には仕上がるようになってる。


簡単にやってしまうということは慣れてきたということだ。(なんやそれ)


まあ、でも、それぐらいの熱量でサラッと書いちゃった文章でしたが、心はこもってます。



いやー、でもなんでも丁寧に伝えなきゃダメだねー。


ここ最近、わたしがこれからどうしていきたいのか、どうなりたいのかとすごく考えることがあって、


そうやってめっちゃ自分と向き合って考えるなかで、


自分の考えをきちんと人に伝える、自分を丁寧に説明する。


これはとても大事なんだと改めて思い知りました。


まず、普段挨拶がわりに言ってる「自然の循環の中で調和して生きるのよー」という言葉。


わたしの根幹になってて、もうすっかり「おはよう」とか「こんにちは」ぐらいに「挨拶」みたいになってしまい、そしたらもうそんなあたりまえのこと今更その意味をわざわざ説明するなんてね、わざわざいうことでもないよね、とみんなの共通言語みたいに思ってしまっていたことに気づき、驚愕。


あれ?なんか話しが全然通じてない。


これは共通言語なんかじゃなかったんだ。。。




髪を触ったり、人の何気ない仕草や表情からいろいろ汲み取り、


言葉以外のコミュニケーションをわたしはいつもしていることに気づき、


わざわざいうことって、なんか気恥ずかしい、みたいな。


なんていうのか「愛してるよ」ってわざわざ言わなくてもわかるだろ?


みたいな傲慢な前時代の男みたいになってたんだな。


ちゃんとした声がけ、いたわりは欲しいですよね、必要ですよね、大切ですよね。


わたしのあたりまえは人のあたりまえではないんだって、あたりまえな事実に気づき、なんて傲慢だったんだ!と反省しました。


あたりまえはいつでも疑ってかからないとダメだな。


あたりまえは怖い。




■世界はいつも常に動き続け変化している


同じ一瞬なんてもう二度とないのに、いつもどおり、あたりまえに過ごしていると、まっさらな今を感じられなくなってしまう。


この今という瞬間はこの今にしか味わえないのに、この瞬間を味わうことをせずに、さっきまでの、昨日の延長みたいに過ごしてしまうときは、その瞬間そこに自分がいない。


自分の世界の真ん中に自分を座らせていない。


その一瞬はその一瞬でしか味わえず、その一瞬にしかできないことをしているのに。


絶え間なく変化している瞬間瞬間の連続の中で。


こうやって文章を書くことも、その時その瞬間にしか浮かんでこない言葉を文字にする動作の連続。


後から文章を見返すと、自分が書いたには書いたはずなのに、違う瞬間に見ると、これを二度と再現することってできないな、と感じる。


その時の自分はそのときにしか存在できないのだ。


「あ、わたし今名言吐いた」とか思ってその言葉に自分で感動し、しばし酔いしれる。


でも、別の瞬間に、あの時わたしめっちゃいいこと言ったと思うけどなんやったかなあーっ


てその言葉が思い出せない。人の名前思い出せないみたいなことになることしょっちゅうあります。



■世界は鏡


いつもいつも言う「世界は鏡」


これも「おはよう」や「いただきます」みたいに挨拶がわりになって、


その本質を考えることをしなくなってしまうと


言葉だけの一人歩きになってしまう。


だから、いつもいつも言い続け立ち止まって考える。


わたしが一番その言葉を必要としているから。


わたしは「世界は鏡」という「自分教」の教祖様であり信者であるのです。


これを繰り返し繰り返し、呪文のように唱えているのです。


起こる出来事すべてを、自分の投影として見てみると、


自分がよーくわかる。


他者との関わりは、自分が自分をどう見て、自分が自分をどう扱っているか、それが見事に反映され現れる。


そりゃ、いいことばっかりではないよー。


だからその嫌なことに取り組むの。


今の自分の世界に不満があったとしても、それは全部自分で選んで自分で持ち込んだもの


ならばまた選び直せばいい。


嫌なことですぐに変えられないほど固定されてしまった観念でも


時間をかけて好きなものに変換することはできる。


そのプロセスそのものがとても素敵なんです。生きるということなんです。


それは希望です。


わたしが生きているあいだは、いつも自分の目の前の瞬間で、変換作業をしていきたいと思っています。


自分を自分の世界の真ん中に座らせて。


いつも自分をまるっとオッケーしながら。


あれは良い、これはダメ、とそこで決定してしまうのじゃなくて


全てを受け入れた上で


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